くさののさく記

ゆるっと日々のもろもろを綴っていきたい

久しぶり

こんにちは。くさのさくです。

 

あまりに色々なことがありすぎてブログの存在すら忘れてしまっていた。

うむ。

 

毎日続けるとか完全ムリゲーですけど、思い出した時にまた気晴らしに書けたらいいかな。

自分のためにもね。

 

最近家にいることが多くてつい「何もしてない感」に苛まれてしまうのだけど、それでも何もしてないわけではないんだよね。

 

マイペースに生きたいという希望と、

結果、成果を感じたいという希望。

 

その両方が混在していて、なんだか自分を苦しめている気がする。

 

他の人は、どのようにバランスをとっているのだろう?

毎日が当たり前のように過ぎてしまって、ただ無意味に時間を流して生きているだけみたいな感じに陥ってしまうんだよね。

 

こういう感覚になった時に何をするかとか決めておくといいかもね。あらかじめ。

そしたらもう少し悩まなくて済むのかも……

なんて思いました。

 

くさの

 

くさのさくです。

 

さっき、買い物してたらいきなり「Hello」って言われて下向いてたからまさか自分に言われてると思ってなかったけど無意識に顔上げたら、背の高い外国人のダンディー系お兄さんがこっちに話しかけてて「Do you speak English?」ってきいてくるからもしかして何か困ってんのかな?と思って本当はたいしてしゃべれないけど「A little」って答えたらまさかの日本語で「スペインから」「行ったことある?」「英語仕事とかで使わない?」「外国人の友達作るといいよ」ってペラペラしゃべってきて、「え、なにこの人」って思ったけど、まさかのナンパだったんだろうか。

それとも単純に日本語の練習のために日本人の友達欲しかったから勇気出して話しかけただけだったかもしれないが、それにしてはいきなりすぎるシュチュエーションだ。

それに、ふだんメガネで薄メイクの自分がたまたま今日に限ってコンタクトでプロにメイクしてもらった帰りだったことも何だか怪しい。普段の自分だったら多分声かけてこなかっただろう感。

 

どちらにせよあんなに塩対応でなく、もうすし余裕を持って紳士的な対応ができたならベストだっただろうが、明らかに知らない人からいきなり声かけられたら相手が誰だろうと警戒心MAXになるから無理だろうな。これは自分が女性であるからってのもあるよな。どうしても。

さすがにその場で相手の心理を見抜くことはできないので仕方なかったとは思うけども、確かに外人の友人は欲しいよね…笑

だがあんなに日本語しゃべれたら意味ないだろ。最後全部日本語で会話してたからね。

ま、またお会いする機会がありましたらその時はお友達になりましょうや。

その代わり日本語NGですぜ。

 

こういう些細なきっかけを掴んで自分の世界を広げていく人は確実にいるだろうけど、そうなるには自分はまだまだ修行が足りないと思ったのでした。

そういうことできる人は尊敬。

 

くさの

 

 

映画『呪術廻戦』2回目^^

くさのさくです。

 

なんだかんだで劇場版『呪術廻戦0』まだ見てないって人と一緒に2回目観賞。

 

改めて冷静に見ると戦いのシーンとか気合入ってるし絵にメリハリあってとてもいい絵だなーって思いました。

 

でもやっぱり分かってても例の"エヴァの呪い"にはかかったし、一緒に見た人も同じくその呪いにかかったらしい。

緒方さんがハマり役すぎるんですよね、もはや。

あと何回見ても最後、「ここで終わりかよ!!このやろー!」ってなりますな。

あとやみつきになるほど五条先生も夏油氏もかっこよすぎてずるい。声優さん的にもリピートの価値があるしね。ゆーきゃん氏のあざとさったらないよな……(失礼)

 

あとストーリーも、最初、ヒロインりかちゃんも主人公も重い恋愛してんなぁとか呑気に考えてたけど、それでも最後は感性豊かな同行者は涙してたから、ちゃんとハッピーエンドにもっていける物語の構成力がすごいなぁと感心しました。

戦いの見せ場があるし、満足感がすごい。

 

結局前回と大体おんなじこと書いてるんだけど、でも何が言いたいかって、感想が2回目見てもそんなに変わらないってことは、わかりやすい良い映画ってことなんですよ。

 

もちろん難しくてトリックがあって何度も見て楽しむ映画もそれはそれでいいんだけど、一発でわかって見せ場もあって楽しめるってのは本当にいい映画だと思う。

それだけ"わかりやすい"って大事。

"わからない=つまらない"になってしまいがちだからね。

 

わかりやすいものって"簡単"とか"こだわってない"ってイメージだけど、意外とこれが難しいんだよね。

ごちゃごちゃやってると分かりづらくなってしまうし、要素ばっかり多くて伝わらないっていう自分勝手な作品になっちゃう。

 

それは文字を書く私としても気をつけていかなければならないところだなぁって思う。

削ってシンプルにしていく作業も工程としては必要よね。

 

そんなことを改めて思ったのでした。

 

他の人が作品を見てどう思うかや、自分の作品作る上でこだわってるところとか色々聞いてみたくなるよな。

人によって違うところがいいよね。

とりあえず自分の作品作ろう。

 

くさの

 

 

『劇場版呪術廻戦0』にわかでも楽しめた

こんばんは。くさのさくです。

 

今日は劇場版の『呪術廻戦0』見てきました。

そもそも「呪術廻戦」最近まで乗り遅れてたのだけど、アニメを一気見してその流れで映画も行っちゃえ!ってノリで行って来ました!

 

(以降多少ネタバレ含むかもしれないので気になる方は回避を!)

 

 

いやー、楽しかったね。

何が良かったんだろう?

 

なんか……そこまでガチ勢でなくても、「これガチ勢喜ぶやつやん」ってのが見てとれたってのと、アニメであんまり戦ってるところ見れなかったキャラクターたちがバンバン戦ってくれるんで、すっごい嬉しかったんですよね。

 

あと主人公がアニメと違うからこそ新規もとっつきやすいと思うし。

 

ただその弊害で、常に"エヴァを観てる気分になる呪い"と私は観賞中ずっと戦ってたよ……(笑)

もう、これは仕方ないよね。

CM見た時から思ってたけど、黒髪の少年で声緒方さんで自分の無力感に苛まれてたら、シンジ君ですって……!

 

でも他のキャラクターは「呪術廻戦」だからなんか奇妙な感覚があった。

そういうところも含めて面白かったなー。

欲しい展開くれるし。映像も音楽も良かったし……。

King Gnu好きです。

 

あとキャラクター、ずるいよね。なんか。

かっこいいんよ。みんな。

 

あと終わり方については

「ここで終わりかい!!クッソゥ!!やりやがったなッ!!」

ってなりました。

いいから続きください。

 

現場からは以上です。

 

くさの

 

習い事の意味って習ってる間はよくわかってない

くさのさくです。

 

今日は大好きなアニメの曲を聴きながら出勤♪♪

 

今まで何度も聴いていたはずの曲だったのだが、改めてよくよく聴いてみるとふといつもは気づかない歌い手の心遣いやリズムに気づくことがある。

そもそも音楽って流れていくから細かいところまで聴いてるわけじゃないし、最初はメロディー、次に何となくの歌詞って感じで曲がどうできてるかとかわざわざ考えないんだよね。

そもそも音楽のことってあんまり詳しくないし、自分で曲作りとかしてるわけでもないし。

でもカラオケ行って歌うのは好き。

 

だからこの曲好きだな、歌いたいな、と思ったらその曲を改めてじっくり聴くんだけど。

でも今まではちゃんと聴いてるつもりでも聴けてなかった。

 

よく、「知識が増えると解像度が上がる」と聞くけど、こういうことなんだなって思う。

 

コロナの時代が来る前まで1年ちょっとの間だけだったけれど、ボーカルトレーニングに通ったことがあった。

 

習い始めたきっかけは、音楽は好きだけど、楽器は練習が苦手(ピアノとクラリネットの経験アリ)でなかなか上手くならない。

だったら歌はどうかな?と思ったんだよね。

友達や一人で行く自己満足のカラオケも楽しいけど学びは少ない。

一回プロに知識とか基礎とか見てもらうのもアリかなーって気軽に始めた。

 

やってる最中はさ、自分の下手さに打ちのめされるんだよね。

できてないことだらけで、好きでもうまく歌えなくて、そもそも呼吸すらまともにできない、みたいな。

これ、多少歌えるようになったところで意味あるのか?みたいな低レベルなんだけど、それでもなんとなく続けてた。

コロナが増えてきて辞めることになってしまったけど、今になってやってよかったな、と思えるのは"歌えるようになった"からではなく、"聴けるようになった"から。

今まで当たり前に聴いていて、それなりにその通りに歌えていると思い込んでいた曲が、実は全然リズムもとれてなくて歌えてなかった、ということに気づけるようになったことがデカイ。

 

習い始めた当初自分が予想していた効果とは違う物が得られてるんだよね。

 

これって別の習い事でもあって、

以前英語がしゃべれるようになりたくて、やっぱり日本語通じる日本人の先生じゃなくてイングリッシュスピーカーとしゃべらないとダメだ!と思って、オンライン英会話やってたこともあった。

でも自己紹介とか決まったフレーズだけを覚えて繰り返し同じことばかり言ったりとか、テキスト通りに言ったりとか、思ったより知識が増えてしゃべれるようになった!っていうほどしゃべれるようになったわけじゃなかったんだよね。

もちろんテキストに頼らずに、とかやりようはいくらでもあったと思うんだけど、本当に英語ちんぷんかんぷんのこっちとしてはハードル高いしなかなか難しい。

 

それでもある時、友達と2人で観光地でツーショット撮ろうとしてたら、近くにいたツーリストの外国人が「シャッター押そうか?」っていきなり声かけてくれたんだよね。

正直その言葉も何で言ったか聞き取れなかったんだけど、それは状況と相手の動作とかでなんとなくわかるじゃない?

でもその時の反応が、私と友達とまったく違ったの。

友達はいきなりのことでまったく反応できずに固まってた。

私も以前の私なら間違いなくそうなってたと思うんだけど、その時「Oh…! Thank you!」ってすぐに返せたんだよね。

 

それは決して英語の知識が増えたから返事できたんじゃなくて、明らかに「外国人と話している自分」というセルフイメージができてたから知っている単語を発することができたんだと思う。

つまり、オンライン英会話で得たのはそこだし、逆に言えばそれが明らかに足りてなかった。

いくら英単語を知ってて文法を勉強しても、外国人に話しかけられること自体が一種の「異常事態」である限り、すんなり言葉が出るはずがないんだよね。

 

今はもう英会話やめてしまったからもはや「異常事態」に戻りかけてるんだけど、英会話やる前の私よりは冷静に対処できると思うんだ。

 

それってやっぱり習ってる時は毎回、これあまりに自分出来なすぎてやってる意味ある?!って思うようなことも、未来の自分から見ればやっぱり意味があるというか、何がしかは得てるんだよ。

 

他にもすぐに辞めてしまった習い事って結構あるんだけど、たとえ成果が出てなくても、やっぱりやってよかったのかな?って思う。

それに気づくのがもっと後かもしれないだけなんだよね。

 

 

それを思うと、みんなが何を習って何を得たのかってすごい興味ある。

きっと同じものを習っても得られるものって人それぞれなんだろうなー。

 

そんなことを好きな曲を聴きながら思ったのでした。

 

くさの

 

 

 

おばあちゃんと推し活。

今年91歳になった祖母に会った。

まだまだ元気で頭もしっかりしてるおばあちゃん。

91歳とはとても思えないくらい変わらずいつも優しく明るい。

どうしたらこうなれるんだろう?

 

思えばおじいちゃんは91歳で亡くなった。

亡くなる前は元気ではあったものの、ほとんど座っていることが多かったおじいちゃん。

 

一方おばあちゃんはこの歳になっても「まだこき使われてる」と言う。

重い買い物などは伯父さんや宅配だが、その他は自分自身でこなしている。

 

そしておばあちゃんには長年推している"推し"がいる。

 

それは、"舟木一夫"さん。

舟木さんの話をしているおばあちゃんはまるで十代の恋する乙女だ。

一瞬で声が煌めく。

 

ちょうど昨日、舟木さんの60周年コンサートに10個下のお友達と県を跨いで東京まで行った話を聞いた。

 

「無事に帰ってこれた?」

と心配するこちらをよそに、

「あんなに良いならみんな誘えばよかった!一人で何でもこなしちゃうのよ。ときめいちゃった…!」

と言うあなたに私はときめいた。

 

オタクの私にも伝わる推しへの愛。

 

「舟木さんの話し始めると止まらなくなるからやめとくわ」

と言う彼女には推しを持つ先輩として共感と尊敬しかない。

 

 

私はもし91歳になってもその愛と行動力、体力があるだろうか?

むしろ、推しがいるからこそその行動力や気力が生まれるのは間違いない。

しかし、誰もがそうなれるわけではないだろう。

 

願わくば永遠にオタクでいたい私には絶対に必要な能力である。

 

そしておばあちゃんにもこれからも舟木さんにときめきながら長生きして欲しいと思う。

 

推しのある生活よ、永遠に…!

ラブフォーエバー!!

 

くさの